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THE STORIES IN FRANCE

- CONTENTS -
1990年6月8日 初の海外 フランス・パリ
1990年6月9日 初めての朝 パリ
1994年8月 聖少女ベルナデッタを訪ねて

1990年6月8日 初の海外 フランス・パリ

初めての海外、それもたった1人の個人旅行という事で私はかなり緊張していました。シャルル・ド・ゴール空港に到着し、何の審査もなく入国、まさに素通りでした。(^o^) 出発前に聞きまくっていた旅行英会話テープの効果は無しでした。外は曇っていて、どんよりとした空が私の初めて見たヨーロッパの空でした。この曇り空が示すがごとく、問題はここからでした。同じ飛行機に乗っていた日本人は、私の知っていた限りでは私を含めて3人、ひとりは学生さんで、何かの学会のため大学の教授とパリのホテルで待ち合わせをしているのだそうです。彼はパリ市内のエトワール広場行きのリムジンバスに乗ってさっさと行ってしまいました。もうひとりは30代前半のサラリーマンの方で、海外は2度目、ヨーロッパは始めてなのだそうですが、それにしてもまったく英語が駄目なのか、おどおどした感じがありありと伝わってきました。最初の海外は東南アジアだったそうです。私も英語はまったく駄目で、イエス、ノーと数字くらいしか言えず、おまけにリスニングはゼロと言っても良いくらいでした。(+_+)

私はリヨン駅にホテルを予約していましたからリヨン駅に行きたかったのですが、彼も同じ方面にホテルを予約していました。そこで私たちは途中まで一緒に行く事にしたのですが、彼はまるでどうして良いか分からない様子で(私も分かりませんでしたが)キョロキョロするばかり、私は仕方なく、勇気を出してグレーのスーツの紳士に「パリに行きたい」と言ってみた所「僕も行くからついてこい」みたいな事を行ったのでその紳士(イギリス人かアメリカ人だと思います)について行く事にしました。

バスに乗り、高速地下鉄RERの駅からパリ市内へと私たちはその紳士に導かれながら向かいました。彼はとても親切で、何処のホテルに泊まるのかを聞き、地元のパリジャンにどう行けば良いのかを聞いてくれて、それを私たちに教えてくれました。サラリーマンの方が何も話さないので、全然、喋れない私でしたが、紳士とのコミュニケーションを図らなければと、片言でホテルまでの行き方についてなどの事を頻繁に聞いたりもしました。

私は途中で乗り換え、紳士とサラリーマンの方はそのまま乗って行きました。2人と分かれた後、紳士が教えてくれた通りにやっとリヨン駅にたどり着けましたが、夕刻のラッシュ時なのか、いっぱいの人です。RERの車両の中でもそうでしたが、人だらけです。私は2ヶ月分の荷物とバイクでのツーリングの荷物もあったので、大きなバッグを2つ抱えて少しヨロついていたと思います。バッグをひったくられては大変だと、怖い顔をしていたに違いありません。良く分かりませんでしたが、白人ではない少し肌の色の濃い人(アラブ系かなと思われるような)が何か大きな声で話し掛けてきましたが、訳が分からず、手を振って追い払いました。怖かったのですが、その彼が親切で言っていたかもしれないと思うと少し心が痛みます。

ホテルは駅の真上にありました。駅舎がホテルだったのです。名前も「リヨン駅」でしたから当然と言えば当然です。駅のインフォメーションで「上だよ」と言われた事の意味が分かりました。方向が上とは思っていなかったので、「何を言うてんの?」と思っていたのです。チェックインして窓を開けると良く見たような都会の夜景(そんなに綺麗ではありませんでした)が広がっていて、本当に私はパリにいるのかと思いました。朝、起きてから飛行機に乗り(これも生まれて初めてでした)寝る時にはもうフランス…

飛行機って凄い…しかし、次の日にいやと言うほど自分が外国にいるのだと言う事を実感させられるのです…

1990年6月9日 初めての朝 パリ

AM6:00、目を覚ますと、一瞬、自分が何処にいるのか分かりませんでした。昨夜は時差のせいで、2時間毎に目が覚めて熟睡できなかったためでしょうか。とにかく、私はパリのホテルの一室にいました。窓を開けてみると、曇り空とコンクリートのビルが目に飛び込んできました。車の騒音が聞こえます。しかし、風は涼しく、清々しい冷たさで私の顔を撫でていきます。

私は鉄道旅行に関係のないツーリングの荷物をひとつにまとめ、そのバッグを持ってホテルを出ました。スイスのバイクショップ「フュースト・モトス」に送るためにです。「THE TOURING IN SWITZERLAND」でも書きましたが、日本からバイクの予約やなにかでお世話になった「山内さん」から「パリの駅から荷物は送れる」と伺っていたので、とりあえずリヨン駅に行ってみました。インフォメーションで「このバッグをスイスに送りたい」と聞くと「ここじゃなくて、もうひとつのインフォメーションに行け」と言われ、そこへ行って聞くと隣にあると言われ、言われるままに行ってみるとそこはチッキの受付場所でした。バイクショップの住所を見せ、「ここに送りたい」と言っても断られ、係りのお兄さんは別の場所へ行けと言います。また言われるままに行くとそこは荷物受け取り場所のような所で、そこでももちろん断られました。言葉が全然通じない!駅の中を約1時間もうろうろした挙げ句、結局解らず(英語も話せないのにフランス語が解るわけもない)重いバッグを抱えたままホテルに戻りました。(+_+)

とりあえず朝食を取る事にしました。腹が減っては戦は出来ぬ・・・です。コンチネンタル・ブレックファストも初めてなので、なんとなく緊張しながら食べたのを覚えています。部屋に戻り、フランス語が解らないのが最大の問題だと考えた私は、「6カ国語会話」の本を引っ張り出し、フランス語で「この荷物をスイスに送りたい。何処に行けば良いのですか」とメモ帳に書いて、それとバッグを抱えてホテルを出ました。

まずチッキの受付に行きました。ここが一番怪しそうだったからです。お兄さんは、「また来たのか」みたいな顔をしましたが、メモを見せるとまじめな顔になり何か私に言いました。しかし、やはりフランス語です。「ワカンナイ」って顔をしていると、こっちへ来いとばかりに隣のインフォメーションへ連れて行かれました。インフォメーションのお姉さんも「また来た」って顔をしていました。解らないたびにこのインフォメーションに来ていましたから・・・。とにかくメモを見せました。すると、声を出してそれを読み、そして「スイスの何処に送るの?」と聞いてきました。私はバイクショップの住所を見せましたが、シュリエレンが何処にあるのか彼女は知らないようでした(大きくもなければ有名でもない街だから当り前と言えば当たり前ですが・・・)。「ここはスイスの何処にあるの?」って聞いているみたいなので、私は「チューリヒ!」と答えました。しかし、だれも反応しません。誰もチューリヒを知らないのか?!そんな馬鹿な!!

愕然としていると、その場に居合わせたインド人と思しきおばさんが「スイスのどの辺りにその街はあるの?」と、手帳の表紙の裏にあるスイスの地図を見せました。が、その地図にはスイスの西半分しか載っていません。「この辺・・・」と日本語でチューリヒの辺りの空間を指差しました。すると、「おおー、ジューリヒ!」とお姉さんが叫びました。フランス語じゃ「ジューリヒ」と言うんですか?

結局、バッグはチューリヒ駅までしか送る事が出来ませんでした。これはいささかショックです。パリ見物をした後、ヴェルサイユとモン・サン・ミッシェルを訪れようと思っていたのに思いっきり予定が狂ってしまいました。私はバッグを追ってチューリヒに行く事になったのです。チッキのお兄さんにバッグを預け、お金を払ってホテルに戻り、荷物をまとめてホテルをチェックアウト。駅の窓口でユーレイルパスの日付を入れてもらい、フランスの新幹線TGVの座席をスイスのジュネーヴまで取りました。

パリで見たものは地下鉄とリヨン駅、そして人ごみだけでした。言葉が通じない事とはこんなにも辛い事なのかを実感させてくれた事も忘れません。静かに走り出したTGVの中から見るパリの街並みもパリの様には見えなくて、これからの旅行がどうなっていくのか不安な気持ちと後ろ髪を引かれるような気持ちのままパリを後にしました。はたと気付くと、私はメモ帳とチッキのお釣を貰うのを忘れていました!ガビーン!かなりショック・・・

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